内田広之・立候補表明会見概要(質疑応答)

2021.04.08

~質疑応答~

記者

こじつけかもしれませんが、昭和61年にいわき短期大学から田久孝翁氏が市長選に出ました。
田畑市政4期阻止を掲げて出たのでしたが、今回、吉村先生が出たからには、東日本国際大学さんが前面に出てくるということなのかと感じますが、大学に属している内田さんとしては、その辺の大義をどうお考えなのか、確認させて下さい。

内田

はい、質問ありがとうございます。吉村先生に関しては、極めて個人的な関係でのお願いでございます。
したがいまして、大学としてということではなく、以前からの個人的なつながりでと、ご理解を頂ければと思っております。
立候補に関しましても、先ほどお話がありましたように、教育で仕事を創ることや、雇用を教育の力でどう生み出していくのか、吉村先生に相談に乗っていただいた経緯がありまして、あくまで、個人的な関係ということでご理解を賜れればと思います。

立候補の経緯
記者

立候補をしようと思った時期、経緯について教えて頂けますでしょうか。

内田

立候補を決めた時期ですが、一昨年前の台風19号の時です。
当時、福島大学職員として、個人的に被災地の支援入っておりました。公民館で、何度か炊き出しもさせて頂いております。
そうしたなか、被災者から様々な生の声を聞く機会がありました。いわき市は、大変な状況だなと実感しました。
災害対応も遅れ気味だとの意見もありました。しかし、ここで現職の市長を批判することはしたくはないので、そのような意図ではお話するわけではありませんが、大変な状況を具体的に、数多く聞いていて、なんとか故郷のために貢献したいと思いました。
災害で申しますと、かつて、岡山県の倉敷市での中国地方豪雨で、2か月ほど文科省職員として支援に入りました。そこでの先進事例も見ておりました。
その状況と比較しながら感じるところもあり、決意に至った次第です。
また、秋田県に赴任しているときに、教育日本一を実現しました。
その時の経験が非常に役に立ちましたが、私の故郷、いわきでも、同じように教育日本一を実現したいという思いもあり、そうした思いも出馬の背景にはあります。

記者

立候補は、各種団体からの要請ということではなく、自身での決意ということでよいでしょうか。

内田

はい、そのとおりです。ただし、これからいろんな団体の方にはお願いをしていく予定ではございます。
きっかけは、あくまで自分の意志で決めております。

現市政への意見
記者

内田さんのお話の中で、現職の市長をとやかく批判するつもりはないとのお話もございましたし、チラシには、内田さんの政策は書かれていますが、現市政でこういう部分が足りないから、この政策をやりたいとか、ここを強化したい、というような点がありましたら、教えていただけないでしょうか。

内田

まずは、新型コロナの対応があります。一昨日の市の会見で、市長は、今後の動向を注視しながら、県とも連携をしつつ、対応を検討したいとお話をしていました。それと、昨日、企業の方に対して、マスクの着用や飲食店での会食の自粛を要請していました。
しかし、そうしたこれまでと同様の生活様式の改善の延長ということでは、厳しい状況になってきているのではないかと思います。そうではなく、感染拡大を食い止めるために、先んじた対応が必要になってきていると考えています。
先ほど冒頭で述べたような、例えば福島市のような取組です。それがいわきではそのまま当てはまるとは言えないかもしれませんが、しかし、そうした厳しい状況だということです。
それと今の市政との比較で申し上げますと、10年、20年先を見据えた対策を打っていく必要があります。
特に、若者の多くが都市部に流れているという、先ほど申した状況ですが、それをいかに食い止め、かつ、雇用の場を作り上げていくのか、企業誘致も含めて進めていく必要があると考えています。

バッテリーバレー構想・いわきFC
記者

産業界のなかで、バッテリーバレー構想、様々な展開がなされていますがそれについての考え方をお聞かせ下さい。
また、プロスポーツ・いわきFCがありますが、それらの取組・活動についての感想をお聞かせ下さい。

内田

まず、バッテリーバレー構想の取組は賛同します。
以前から、注目をしていました。いわき市は、東日本大震災、台風19号など、様々な災害を経験してきています。食べ物の風評被害もあり、近年、いわき市に対する風評被害やマイナスイメージもないわけではありません。
そうしたなかで、再生エネルギーで世界最先端のものを創っていくのだということは、マイナスをプラスに変えていく大きな起爆剤だと考えています。教育と企業が連携して、新たな雇用の場づくりにもなってくると思います。全力で進めていきたいと思っております。
いわきFCに関しても、サッカーを通じて、いわき市を東北一の市にするということで、いわき市だけではなく東北全体を盛り上げる勢いでやっておられるのは、本当に素晴らしいと考えます。経済活動、企業活動に加えて、文化・スポーツ活動も盛り上げていくことが重要だと思います。

支援団体の有無
記者

過去のいわき市長選挙を見ますと、特に、自民党内で会派が分かれているという状況が続いています。内田さんとしては、党派からの支援をどうしていくのでしょうか。

内田

今日の記者会見の後に、一つひとつの党の皆さんに、均等にお願いをしていきたいと思っております。そのようななかで、私の掲げる政策に賛同いただけるような会派の方がおられれば、宜しければ応援を頂ければと思っております。
自民党の中で分かれていることに関しましても、市民の皆さんの中にも、どうして一緒になれないのかという声があるというのは聞いたことがあります。もし、私でできることがあれは、良い方向に持っていければとは思います。

記者

そうすると、内田さんは、自民党を母体とするわけではなく、フラットということでよろしいのでしょうか?

内田

はい、そのとおりです。

記者

今の質問に関連しますが、後援会づくりはこれからだと思うのですよね。私の情報収集ですと、元市長の渡辺敬夫さんが積極的に内田陣営をバックアップするという話をきいています。
また、志帥会12人いますが、その会派が12名、全面的に内田支持を打ち出していると聞いています。それは、内田さんお聞きしていますか。それとも、そこは今後なのでしょうか。

内田

そのあたりも、他の会派も含め、全会派に対してこれから、ご挨拶に伺います。渡辺敬夫先生はじめ、志帥会で個人的に存じ上げている先生方もおります。あくまで、個人的に存じ上げているということです。他の会派の議員も含めてそうです。
いわき市の方々と共に活動するなかで、議員の皆様も個人的に何名か知っております。現状では、先ほど申し上げましたとおりです。どこの会派のバックアップということではございません。これからご相談していく流れになってまいります。

大震災10年間の総括
記者

この3月で東日本大震災から10年となります。原発事故から10年となりまして、その節目の選挙戦になりますが、内田さんとして原発事故と震災をどう総括しますか。

内田

これまでは、堤防や道路などハードの部分の整備が中心だったと思います。マイナスをゼロにする復興が多かったと思います。この10年目の節目に復興庁も、第二期復興創生期間と定め、国際教育研究拠点の整備に乗り出しています。
そういう意味で、今後は、マイナスをゼロではなく、ゼロからいかにプラスにしていくのか、プラスを生み出していくのか、そこがこれからの復興の姿だと思っております。若者の人口減少や、雇用・産業が厳しい状況であることを再三述べていますが、これらの課題も解決策を講じながら、復興を加速化させていくことが重要だと認識しています。

国際教育研究拠点・工学系大学
記者

国際教育研究拠点の話題が出ましたが、前職、福島大学での経験も、それは生きるということでしょうか。

内田

そうですね。福島大学もこの国際拠点に積極的に関わるということで、大学としての構想を復興大臣に提出しています。福島大学は、この国際拠点に活動の場を設け、浜通りの先進企業と連携をしながら、若者にプログラムを提供し、若者に根付いてもらうということも実行していきたいということを考えてきています。
農業、廃炉、医療機器など、様々なテーマがございます。そういった分野に対して、若者に関心を持ってもらえるようなプログラムに関心を持ってもらえるよう、福島大学に加え、東日本国際大、福島高専もございますので、連携をしながら、国と一体になって進めていくことが考えられます。
その中には、先ほどのバッテリーバレー構想の取組とも一体となって、世界最先端の再生エネルギーのプログラムを若者に提供していくようなことが重要で、それを進めることで、若者の定着に繋がっていくと考えています。

記者

それと関連しまして、もちろん、バッテリーバレー構想は、進めなければいけないと思いますが、かつて、いわき明星大学に工学系の大学がありました。
現在、工学系の大学を、再度、いわき市に誘致しようという動きを耳にします。聞くところによりますと、東日本国際大学にその学部を置こうということで準備が進んでいると聞いています。それについて、内田さんから、積極的な意見などあれば教えてください。

内田

お話がありました動きのことについては、私は把握していません。
ただし、若者の定着ということで考えれば、他県の都市部で大学を卒業した後に、いわき市で雇用がないという声がありますので、高卒者に加えて、大卒者が働けるような場づくりの道筋を創っていくことが重要だと思います。そういう意味で、工学系の学部なり、プログラムなりを用意することは意義が大きいと考えています。
国際教育研究拠点がくれば、その拠点を活用したり、国際拠点と高専が連携したり、福島大学の共生システム理工学類と連携して、そうした機会を作ることもあり得ると思っています。まずは、様々な可能性を模索していくべきだと思います。

学力向上・医師不足
記者

二つございます。まずは、学力低下です。特に、いわき市は、福島市、郡山市と比べて低いです。
内田さん、こういう状況をどう改善し、学力を上げていくのでしょうか。
もう一つは医療です。いわき医療センターには、呼吸器内科の医師はいません。歴代市長が医師不足に、様々な手を打っていますが、現実的にはなかなか空きが埋まらないという状況です。医師不足、いわきの医療を、具体的にどうしていきたいのか教えて頂けますか。

内田

一つ目、教育についてですが、いわきの現状は概ね、全国的位置も県平均と同一です。

 県平均は、国語は全国平均ぐらい。算数・数学と英語は、全国平均よりも若干落ちるぐらい。そして、その差は、学年が上がるにつれて広がっていく、つまり、学力が下がるという傾向になります。
県の全国的位置は、国語は全国20位台、算数・数学、英語は30位台だと理解しています。これを伸ばしていくには、どの学年のどの教科が厳しいのか、さらには、単元が厳しいのかなど、そこまで数値化して分析し、エビデンスに基づいて差を埋めていくことが重要だと思います。
そういう経験で申せば、岡山県に赴任しました時に、全国で40位台だったが、現在、20位台の教科が出てきています。知事が学力全国10位以内を公約に掲げて当選しました。その時も、秋田や富山とどれくらいの差が実際にあるのかを、数値で診断して対処していったという経験があります。健康診断と同じで、悪いところを明確にして治療していくということです。
さらに、いわき市の場合は、高校の学力が課題です。中学まで折角伸びても、高校で伸びないという課題も言われています。これも秋田にいるときに経験しましたことで申しますと、秋田の義務教育がトップになった時、実は、高校が厳しかったのです。高校の学力は、いわゆる難関校と言われるようなところの合格率を見ても、東北最下位でした。
例えば、秋田高校は生徒の入学時の学力は相当高いが、そこから伸びないという課題があったのです。そこを知事の肝いりもあり、進学対策を徹底しました。さすがに仙台市のある宮城県は越えられなかったが、宮城県に次ぐぐらいのところまで伸びました。特に、県立高校の場合、県教委と連携をして、手を打っていくことが重要だと考えます。
例えば、人事異動でも、進路指導に長けた先生をいくつかの拠点校に重点配置するようなことが重要だと考えています。直前まで、私は、県の教育の総合計画を策定する仕事もしていたので、県との人脈も生かしていけると考えています。

内田

二つ目の医療に関しましても、呼吸器内科の医師が医療センターにいないなど、厳しい状況にあると把握しています。
今後、コロナがさらに拡大すれば、本来、診断をしてもらうべき患者が診てもらえないような事態になってしまいます。県の医師確保計画の数値を見ても、いわき市は116人、必要な医師が足りていません。そうしたデータもありますから、では、呼吸器なら何人、産婦人科なら何人というように、診療科ごとに足りない人数をまずは明示して、それを5年計画、10年計画でやっていくのだということを計画として立てて、毎年、毎年、数値を取りながら検証していくことが必要なのだと考えます。厚労省は、2023年までに、医師不足を解消するための医師確保計画を作るように方向性を示しているのですが、県の計画に、いわき市の計画がビルトインされていないのではないか、と考えます。
まずは、足りてない人数を診療科ごとに明示しながら対応していくことが求められると思います。
それと、これも岡山県での経験ですが、鏡野町や真庭市など、県北エリアでの医師が足りなかったのです。約10年前、86人が不足していました。それを、「毎年、8人で、11年かけて解決するのだ」という目標を立てたのですね。それで解決できました。それは、小中高校生の段階から医学に関心を持ってもらえるよう、教育委員会と首長部局が連携して、医師のやりがいを伝える体験学習や、医師との懇談、医療現場の見学などの事業をやりました。そのうえで、毎年、何人か確実に、県北エリアに将来、戻ってこられることを要請しながら、奨学金を出したのです。奨学金は、だいたいどの市も出しています。いわき市も緊急医師確保奨学金を毎年、6名出しています。
しかし、地元で働くことが義務の6年間を過ぎると、ほぼ他県に流れて行ってしまいます。そうならないような取り組みを、子供が小さいうちから、体験活動などで確保していくようなこととして進める岡山方式も参考になるのではないかと考えています。いわき市の場合、10人を10年で計画的に養成するようなことです。また、東北大や県立医大と連携して、目標を毎年達成できない数値については、何人が東北大、何人が県立医大からお願いしたい、ということで、現職の医師の確保も並行して進めることで、不足分を埋めていくということを進める必要があろうかと思っています。

内田

すみません、話が長くなりましたが、以上でございます。

水産業の復興
記者

いわき市は水産業の復興も重要だと考えます。震災後、原発被害の風評もあって、震災前の操業には戻っていませんが、トリチウム処理水の問題もありまして、今後の議論も大変注目されると思いますが、今後の漁業をどうしていきたいか、お考えがありましたら、教えて頂けないでしょうか。

内田

本当に深刻な問題だと思っています。漁業は、トリチウム水の問題があり、風評問題にクローズアップされがちです。一方で、少しずつ操業も始まっていますので、風評を払しょくするには、水産品のブランド化、付加価値化を考えていく必要があると考えます。
例えば、給食のメニュー、旅館業界、飲食業界、観光業が一丸となり連携し、ツーリズムもですが、併せて考えていくことが重要だと思います。
ブランド化に向けては、私は、15年前にフランスのユネスコに働いていましたが、ユネスコが食文化で盛り上がる都市を認定する仕組みがあります。例えば、その認定を受ければ、世界のネットワークとつながれます。そこでつながった外国で、漁業によってブランド化を進める都市とつながり、先進事例をもらったり、アイディアをもらったり、子供同士の交流で他の国と行事をやったりということが考えられます。
毎月、7日は魚の日ですが、その日にユネスコ職員に来てもらって、魚料理を食べてもらうようなことも考えられます。
そうした形での発信を通じて、汚染水だけに議論を限定せずに、並行して、水産品の魅力の発信力を高めていくという姿勢も、今後は、さらに、求められてくると考えています。次世代の漁業関係者、漁師さんを、子供のうちから育てていくうえでも、こうした発信の取組が必要だと考えています。

地元への思い
記者

いわき市の地元出身ということでのご出馬になります。地元に対する思いを表現するとどういう言葉になるでしょうか。

内田

私は、もともと平成8年に文部省に入りました。教育行政に特に関心がありました。当時から、いわき市は学力や生徒指導に課題が指摘されておりました。国にいながら、福島県、そして、いわき市の教育をレベルアップしたいという思いで文部省に入ったのです。
しかし、その後、震災が起こり、大変な状況になったので、「霞が関からいわきを応援する会」を私が立ち上げて、いわき出身の官僚で立ち上げて、省庁横断で、様々な支援をしてきました。国にいながら間接的な支援をしてきました。
そのようななかで、間接的な関りだけでは、課題解決が難しいところも多くて、この度の決意に至りました。

記者

いわき市をどういう都市にしたいですか、一言か二言でお願いします。

内田

そうですね、一言で言えば、日本一、いわき市に住みたいなと言っていただけるような街にしたいと考えています。

以 上